桜を見に東京の猿江恩賜公園へ。そして東京大空襲を思う。

東京の錦糸町駅から歩いて猿江恩賜公園に桜を見に行ってきました。


ここはとても広い公園で、野球場やテニスコートなんかもありました。
桜は、ソメイヨシノ195本の他、里桜、シダレ桜を含めて230本の桜の木があるそうです。
青い空のもとで見る桜はやはり感動しますね。日本人でよかったと思う時期です。


昼間だったので、ピクニックをしているお子さん連れがたくさんいました。
この公園のいいところは、宴会をしている人もいなく、露店も1つしか出ていないので、のんびりゆったり過ごせることです。
来ている人の多くはご近所さんではないでしょうか。もちろん場所取りの必要なんてないですよ。
ただ周りにお弁当などを買えるお店はないので、飲食したい人は途中のコンビニで買ってくるといいですね。

 

接近して撮ったものは、iPhoneのポートレート機能です。

なかなかキレイに撮れますね。

 

この公園のお花見には一つだけ注意点があります。
それは宴会をしないことです。


実はこの辺り一帯は、1945年3月10日の東京大空襲で大きな被害を受けました。
猿江恩賜公園は焼死者の仮埋葬地となった場所でありまして、公園の野球場がある場所には
身元不明の1万体以上の遺体の仮埋葬地となった悲しい過去があります。


このことから、お花見の時期でも地元の方たちがお酒を飲んで宴会するということを自粛しています。

 

東京大空襲。
1945年3月10日未明からわずか2時間余りで、東京下町の庶民10万人が焼死しました。
現在の江東区、墨田区、台東区を中心に、300機以上の米戦略爆撃機B-29が飛来、
33万発超の焼夷弾(しょういだん)を投下しました。


焼夷弾とは・・
建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入れた投下爆弾や砲弾のことで
当時の日本家屋を焼き払うために最適化されたものだった。


たった2時間余りで10万人の方が焼死するとは、どれだけの惨劇だったでしょうか。
米国では、いかに効率よく庶民を殺せるか、より燃えるかを実験するために日本家屋の模型をつくったといいます。
そして下町を囲むように焼夷弾を落とし、逃げる道をふさぎそれからおもむろに焼夷弾の雨を降らせたのです。
10万人以上と言われる死者は、ほとんどが焼き殺されたのです。


当時日本政府は国民を守るという意思が全くありませんでした。
頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない」「逃げずに火を消せ」と言い続けたといいます。
さらに東京大空襲という大惨事を受けてもなお「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけたそうです。


さらに、東京大空襲を立案、指揮した米軍人・カーチス・ルメイ司令官は戦後、
航空自衛隊創設に貢献したとして日本政府から勲一等旭日章の勲章を授与されています。
このことからも、日本の闇を感じますね。


東京大空襲から今年で74年。
今の日本政府を見ても、庶民を守るという政策はされていないし、何も変わらないなと思うのでした。
ありきたりな文言になりますが、庶民だけが犠牲になる戦争は二度と起こしてはいけません。

 

詳しくはこちらもご覧ください。


庶民が狙われた東京大空襲皇居はしっかり守られています。

 

 

10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(2018.3.10)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614


東京大空襲体験記
http://www.nskk.org/tokyo/data/9511sengo/0017.htm


また、猿江恩賜公園から少し足を延ばすと、東京大空襲・戦災資料センターがあります。
http://tokyo-sensai.net/