預言者エレミヤの哀歌を読んで。現代に通じる自分の罪をなくすことの重要性。

朝日をあびる百日紅(さるすべり)

 

ここ最近のRAPTさんの有料記事で、「自分の罪をなくすこと」について繰り返し語られています。
 
サタン・悪人の思想や文化の中、生まれてきた現代の私達は、その中で普通に生活するだけで神様を悲しませてしまっています。罪を犯していない人は一人もいないと言われています。
 
神様を知らないから・信じていないから、では残念ながら通用しなく、神様が創られた世界で生きている私達すべてに該当します。ただ、今の複雑な世の中にどっぷりと浸かって生きることを考えたら、神様の世界はいたってシンプルです。
義を行ったら祝福(救い)で、罪・悪を行ったら裁き(滅び)です。
罪をなくすことは、自分を救うことに繋がります。
だから自分の中から罪・悪をなくす努力をし続けて、義を行って生きていけることを目標に、毎日生活しています。
 
罪や義については、すべて聖書に書かれています。
聖書は難しいので、RAPTさんが有料記事にて、すべて解き明かしてくださっています。
例えば、不安・心配・悩みまでが罪だなんて、RAPTさんの有料記事を読むまで知りませんでした。
 
心の罪を無くすことの大変さ、自分で気づいていない罪がたくさんあるということ、日々実感しています。大変ではありますが、RAPTさんが伝えてくださる御言葉通りに生きようとすると、心が平安になって、神様がいるから大丈夫だという自信が出てきて、自然と不安や心配はなくなるんです。
だから、昔の自分には絶対戻りたくないし、これからもRAPTさんの御言葉と共に生きて行きたいと思っています。
これから気を引きしめて、毎日罪をなくすように努めて、もっと心の中を清められるようにがんばります。
 
 
ここ最近、聖書の「エレミヤ書」、「哀歌」を読んでいました。
「エレミヤ書」で、預言者エレミヤの生涯を読んで、「哀歌」でエレミヤの悲しみを読みました。そしてRAPTさんが伝えてくださる御言葉と重なるものがたくさんあって、とても心に刺さりました。
 
なぜここまで人間が犯す罪について何度も語られるのか、罪がどれだけ悲しみをもたらせるものなのかが書かれてあり、特に「哀歌・第二章」のエレミヤの言葉は読むのも苦しくなるほどでした。
今の時代(聖書の終わり)を生きる私達にとってとても大事なことだと思いました。
自分がこれからも罪をなくす努力を忘れないために、特に今の自分に刺さった部分を記録しておきたいと思います。
 
(歴史の背景)
旧約聖書は古代イスラエルの民の歴史の話が書かれています。
イスラエル人は、モーセとヨシュアによって先祖が住んでいたカナン(パレスチナ地方)に帰還します。
そこで王国を建設し、ダビデ王、ソロモン王の時に最盛期を迎えますが、その後
ユダ族が中心の「南ユダ王国」と、それ以外の部族の「北イスラエル王国」の二つに分裂します。
そして「北イスラエル王国」はアッシリヤに攻められ滅亡。
「南ユダ王国」もバビロンに攻められ滅亡、「ユダの民」はバビロンに強制連行(バビロン捕囚)されます。
 
(エレミヤとは)
「南ユダ王国」がバビロンによって滅ぼされていく事を預言した、神様から遣わされた使命者です。
ヨシヤ王から、ヨヤキム王、ゼデキヤ王の、バビロン捕囚までの、悲劇的な時代に活躍した預言者です。
「ユダの民」は一人として預言を聞こうとせず、エレミヤを迫害して監禁しましたが
彼らの罪を正すために、40年以上も神様の御言葉を語り続けました。
この事は「エレミヤ書」に書かれてあります。
「哀歌」とはその悲しみをエレミヤが綴った歌と言われています。
 
 
<哀歌>
01:05シオンの背きは甚だしかった。主は懲らしめようと、敵がはびこることを許し
苦しめる者らを頭とされた。彼女の子らはとりことなり 苦しめる者らの前を、引かれて行った。
 
「ユダの民」が犯した罪によって、ユダ王国はバビロンに滅ぼされました。
王国が滅ぼされるほどの罪とはなんだったのか?
それは「シオンの背き」=「神様(エレミヤの御言葉)に背いたから」でした。
聖書を通して、人間が裁かれる原因はいつでも神様に反逆するところにあります。
 
01:07エルサレムは心に留める 貧しく放浪の旅に出た日を いにしえから彼女のものであった 宝物のすべてを。苦しめる者らの手に落ちた彼女の民を助ける者はない。 絶えゆくさまを見て、彼らは笑っている。
 
「罪」を犯し続けた結果、自分たちが頼りにして誇っていた栄光も宝物もなくなり、助けてくれるものは誰もいなくなりました。
 
01:14背いたわたしの罪は御手に束ねられ 軛とされ、わたしを圧する。
主の軛を首に負わされ 力尽きてわたしは倒れ 刃向かうこともできない敵の手に 引き渡されてしまった。
 
「罪」は軛とされ、軛を首に負わされ、倒れ、敵の手に渡されてしまいました。
自分が犯した「罪」は、自分自身の首を絞めることになります。自由を束縛され、苦しくがんじがらめです。だから、「罪」をなくせば、その分心が解放されます。
 
01:19わたしは愛した人々に呼びかけたが 皆、わたしを裏切った。
わたしの祭司ら長老らは、都で息絶える 命をつなごうと、食べ物を乞いながら。
 
エレミヤはユダの民を愛していたので、どうにか「罪」を悔い改めてほしかったのです。
「ユダが滅びる」という神様の言葉をそのまま伝えました。そして受け入れられず、皆に裏切られました。使命者・預言者は、どんなに厳しい言葉でも神様の言葉をそのまま語る必要があります。偽預言者が語るのは、気休めの耳障りのいい言葉です。
RAPTさんも、時に厳しい言葉を伝えられます。それは私達が救われて幸せに生きて欲しいと心から思っておられるからです。
 
01:20御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています。
わたしは背きに背いたのです。外では剣が子らを奪い 内には死が待っています。
 
ユダの「罪」を見て、エレミヤが苦しみ胸が張り裂けそうになっています。
エレミヤは本当にユダの民を愛しているんだと思いました。
時代の中心者は、誰でもこのような気持ちを持っておられます。
そのような思いがなければ、殺されそうになってまで、人の救いのために働けないと思います。
 
 
02:01なにゆえ、主は憤り おとめシオンを卑しめられるのか。
イスラエルの輝きを天から地になげうち 主の足台と呼ばれたところを 怒りの日に、見放された。
 
「主の足台」。エルサレムと神殿、ユダの民も神様のものでした。
神様が愛して大切にしていたもの、それらに神様ご自身が敵となって、滅ぼし尽くすとは、どれほどの心情だったでしょうか。この辺りを読んでいて、とても胸が苦しくなりました。
神様は、良いことも、悪いことも、すべてに介入しておられ、起こることのすべてに神様が関係しておられます。
 
02:11わたしの目は涙にかすみ、胸は裂ける。わたしの民の娘が打ち砕かれたので
わたしのはらわたは溶けて地に流れる。幼子も乳飲み子も町の広場で衰えてゆく。
 
エレミヤがその主の業を見て、胸が裂け、はらわたが溶けて地に流れるほどだと言っています。いつでも時代の中心者はこのような思いで働かれております。
その思いは神様の思いそのままです。神様と一体となっておられるからです。
 
02:15道行く人はだれもかれも 手をたたいてあなたを嘲る。
おとめエルサレムよ、あなたに向かって 口笛を吹き、頭を振ってはやしたてる
「麗しさの極み、全地の喜びと たたえられた都がこれか」と。
 
私達は、悪人が裁かれて苦しんでいるのを見た時に、喜ぶのではなく、神様の怒りをなだめる生き方をしなさいと言われています。
自分も同じようなことにならないように、ただ神様だけに目を向けて、RAPTさんが伝えてくださる御言葉に従えるように努めたいです。
 
02:17主は計画したことを実現し 約束したことを果たされる方。
昔、命じておかれたところのゆえに あなたを破壊し、容赦されなかった。
敵はそのあなたを見て喜び あなたを苦しめる者らは角を上げる。
 
神様は、ご自身の計画を必ず実現して、約束は必ず果たされる方です。
RAPTさんが有料記事で話されてきたことが、今ことごとくその通りに起きているのをニュースなどから実感しています。
 
02:18おとめシオンの城壁よ 主に向かって心から叫べ。 昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなくその瞳から涙を流せ。
02:19立て、宵の初めに。夜を徹して嘆きの声をあげるために。 主の御前に出て 水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ あなたの幼子らのために。彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。
 
神様がこの世の中に関わって下さっている今こそ、心から悔い改めないといけない、とRAPTさんが伝えてくださっています。適当に中途半端にやってもだめです。私も裁かれた時に、いかに自分が適当だったのかが分かります。
心から叫び、休むことなく。心を注ぎだし、命乞いをせよ。
 
02:20主よ、目を留めてよく見てください。これほど懲らしめられた者がありましょうか。
女がその胎の実を 育てた子を食い物にしているのです。 祭司や預言者が 主の聖所で殺されているのです。
 
包囲されたエルサレムでは、母親が自分の子を食べるまでに、なってしまいました。
神様の裁きとは、徹底的で容赦ないです。
 
 
03:16砂利をかませてわたしの歯を砕き 塵の中にわたしを打ち倒す。
03:17わたしの魂は平和を失い 幸福を忘れた。
03:18わたしは言う 「わたしの生きる力は絶えた ただ主を待ち望もう」と。
 
03:21再び心を励まし、なお待ち望む。
03:22主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
03:23それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
03:24主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い わたしは主を待ち望む。
03:25主に望みをおき尋ね求める魂に 主は幸いをお与えになる。
 
絶望のはてに、エレミヤが辿り着いたのは「ただ主を待ち望もう」でした。
そして神様の本質を語っています。絶えることのない、神様の慈しみと憐れみと真実。
神様を求める人は幸いをえると。
 
03:31主は、決して あなたをいつまでも捨て置かれはしない。
03:32主の慈しみは深く 懲らしめても、また憐れんでくださる。
03:33人の子らを苦しめ悩ますことがあっても それが御心なのではない。
 
こちらも神様のご性質です。
不安・心配・恐れはサタンの誘惑です。私もこのワナに引っかかったことがあります。
神様を見ず、自分の身辺や人の目を気にした時に、このワナに陥ってしまいました。
神様と1対1で向き合い、心のすべてをさらけ出してすがった時に、神様の所へ戻ることができました。間違ったことをしている時に、神様が間違っているよと、懲らしめて教えてくださいます。神様が時に裁かれるのは、その人を思ってのことです。
 
03:34この地の捕われ人をだれかれなく 足の下に踏みにじったり
03:35いと高き神の御前をもはばからずに 他人の権利を奪ったり
03:36申し立てを曲解して裁いたりすれば 主は決してそれを見過ごしにはされない。
 
コロナによって日本の政治が全く機能していなく、上層部の利権争いがたくさん露わになりました。RAPTさんも、今までBLOGやYoutubeやTwitterなどで権力者達から嫌がらせを受けて来られました。たとえ不条理や不公平なことがあっても、神様は見てみぬふりはしません。
だから私達も、辛い事があっても、愚痴を言わず、ただ神様に報告すれば大丈夫です。
私もそのようにして、実際に会社での問題を解決してもらったことが何回もあります。
 
03:38災いも、幸いも いと高き神の命令によるものではないか。
 
RAPTさんが仰っていました。自分に起こる悪いことも良いことも、すべて神様が介入されています。だから、悪いことや良いことが起きたら、どうして起きたのか、立ち止まって考えることが大事です。
 
03:40わたしたちは自らの道を探し求めて 主に立ち帰ろう。
03:41天にいます神に向かって 両手を上げ心も挙げて言おう。
 
神様が願われていることです。神様が地球も人間も世の中も作ってくださいました。
この事実は変わりません。
 
03:42わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした。
03:43あなたは怒りに包まれて追い迫り わたしたちを打ち殺して容赦なさらない。
03:44あなたは雲の中に御自分をとざし どんな祈りもさえぎられます。
03:45わたしたちを塵、芥のようにして 諸国の民の中にお見捨てになりました。
 
バビロン捕囚後に、初めて罪を認め、神様へ告白しました。
しかし、罪の代価は支払わないといけません。神様が創られた法則だからです。
 
03:52敵はゆえなくわたしを追う 鳥を追う狩人のように。
03:53命を絶とうとわたしを穴に落とし その上に石を投げる。
03:54水はわたしの頭を越え もう最期だとわたしは思った。
 
RAPTさんも同じ経験をされてきました。悪人達の悪事をすべて暴いてしまうので、何度も命を狙われました。また私達の罪の代価を代わりにRAPTさんが何度も支払われました。
実際にそうさせてしまうまで、人は気付かないのです。
 
03:63御覧ください、彼らは座るにも立つにも わたしを嘲って歌いはやします。
03:64主よ、その仕業にしたがって 彼らを罰してください。
03:65彼らの上に呪いを注いで 彼らの心を頑にしてください。
03:66主よ、あなたのいます天の下から彼らを追い 御怒りによって滅ぼし去ってください。
 
RAPTさんの命を狙ってきた悪人達を、神様は決して見逃されませんでした。
いまニュースで悪人共の悪事が露わになっているのがその証拠です。
悪人が行った通りに、罰せられています。
 
 
04:06ソドムは、その罪のゆえに 人の手によらず、一瞬にして滅んだが
わたしの民の娘は それよりも重い罪を犯したのだ。
 
「ソドム」の町は、ロトと家族を除いて、すべて滅ぼされました。
「ソドム」は、ロトの伝道が上手く行っていませんでした。
ユダの民は、エレミヤからずっと御言葉を聞いていたのに、受け入れることはなかったので、さらに重い罪です。
ということは、RAPTさんの完全な御言葉を聞いている私達が、御言葉通りに従わずに神様が悲しまれる行いを続けて罪を悔い改めないのなら、一体どうなってしまうでしょう。。
改めて、私達の責任が大きいんだと思いました。
 
04:12わたしたちを苦しめる敵が エルサレムの城門から入るなどと
地上の王の誰が この世に住む誰が、信じえたであろう。
 
裁きは、突然やって来ます。今見ている景色が安全だからと言って、罪をなくす努力を適当にしたり、妥協しないようRAPTさんも話されています。実際に私も、なんとなくやっている感があって適当にやっていた時には気付かず、その後裁かれて初めて自分を振り返って、いかに自分の信仰がずれていたのか気付いたことがあります。
 
 
05:15わたしたちの心は楽しむことを忘れ 踊りは喪の嘆きに変わった。
05:16冠は頭から落ちた。いかに災いなことか。わたしたちは罪を犯したのだ。
 
第五章は、バビロン捕囚を経験した残りの民(第二世代)が神様へ祈りを捧げているようです。自分の事として、罪を認めて悔い改めています。
 
05:19主よ、あなたはとこしえにいまし 代々に続く御座にいます方。
05:20なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ 果てしなく見捨てておかれるのですか。
05:21主よ、御もとに立ち帰らせてください わたしたちは立ち帰ります。
わたしたちの日々を新しくして 昔のようにしてください。
 
神様に呼び掛けています。バビロン捕囚は70年続きました。
何十年とこのように罪を悔い改め続けなければいけなかったのでしょうか。
罪が無くなるまでに70年要したということでしょうか。
 
RAPTさんは、心の罪がなくなるまで、罪をなくす努力をし続けないといけないと話されています。RAPTさんご自身は、誰もが犯しているような心の罪をほぼ無くすのに25年間もかかったと仰っています。
 
ユダの民たちは、裁きが下らないのを良いことに、神様以外の偶像を拝んで罪ばかり犯して生きていました。エレミヤの必死の叫びも聞かず、エレミヤを迫害して苦しめてきました。
そして突然裁きが下り、滅ぼされてしまいました。
 
05:22あなたは激しく憤り わたしたちをまったく見捨てられました。
 
これで哀歌は終わっています。このような終わり方にも驚きました。
 
 
罪を犯したら、必ずその分の裁きを受けることになります。それがこの世を創られた神様の法則だからです。恐ろしい終わり方ですが、でも神様はご自分に立ち帰ってもらうために、私達を懲らしめ裁かれます。いけないことをしたら、それはダメだよと教えてくださいます。罪によって苦しむことがないように、との思いです。
罪の分の裁きはありますが、その間、神様が心の平安や喜び、希望を与えてくださいます。
人間を愛しているがゆえに、その人がもう苦しまなくていいようにときちんと懲らしめ、祝福の中で生きられるように、と導いてくださいます。
私も裁かれた時に、しばらくは辛いですが、必ず後から裁いてくださってありがとうございます!と思います。裁きは祝福です。
 
「哀歌」を読んで、罪をなくすことの重要性を知り、RAPTさんとも重なり、気が引き締まりました。聖書は難解ですが、今回RAPTさんの御言葉をたくさん聞いてから、「エレミヤ書」と「哀歌」を読んだら、生きた言葉のように熱く、ぐさぐさと心に突き刺さり、感動しました。
不思議なんですけど、聖書に出てくる中心人物(預言者たち、モーセ、ヨシュア、ダビデ、イエス様やパウロなど)の箇所を読むとRAPTさんと重なります。今回は「哀歌」を読んだので、エレミヤとRAPTさんが重なりました。
それは、時代の中心者がみんな、神様と心情が完全に一体となっているから、当然なことです。
 
 
エレミヤは、なぜ迫害されて殺されそうになっても、神様の御言葉を伝え続けたのでしょうか?「エレミヤ書」にその思いが書かれていました。
 
20:07主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。 わたしは一日中、笑い者にされ 人が皆、わたしを嘲ります。
20:08わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。
主の言葉のゆえに、わたしは一日中 恥とそしりを受けねばなりません。
20:09主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。 わたしの負けです。
 
神様から遣わされた時代の中心者達は、神様の御言葉を伝えずにはいられません。
神様への愛が常に燃え盛っていて、完全に一体となっておられ、神様の「人を救いたい」という心情が伝わってくるからです。
RAPTさんも、厳しい御言葉を伝えないといけない時は、心苦しくなることがあると思います。
でも真実の言葉をすべて伝えてくださるから、私達も受け入れようと、もっと従えるようにがんばりたいと思えます。
 
今の時代は、聖書の終わりの部分、ヨハネの黙示録が成される時で、神様が強力に世の中に関わっておられます。RAPTさんが聖書のすべてを解明してこれからの時代を導かれる、現代の中心者だとはっきりと分かります。そしていつの時代も、中心者が一番大きな裁きを受けられます。
 
いま神様を信じていなくても、もしなにか辛いこと・不安・心配や悩みがあったら、ぜひその原因を探ってみてほしいと願います。自分の周りで起きたことは、すべてに神様が関わっておられ、起きるべくして起こったからです。
そしてRAPTさんの御言葉を聞いてみると、今までの自分の人生で起こったことの理由も分かってくると思います。「ああだからあの時、こうだったんだ。」と分かり、自分の人生での出来事が意味があったんだと思います。
 
神様は人間を愛しているからこそ、ご自身に気づいてほしい、知ってほしい、と願われています。神様は人間と同じように、感情を持っておられます。
そんな神様に味方についてもらい、これから共に生きて行くことができるなら、今までの人生が嘘だったかのように、シンプルでまっすぐで喜びと希望の道を歩むことが出来ます。
 
 
さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの
内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに
生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、
生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
‭‭エフェソの信徒への手紙‬ ‭2:1-3‬
 
裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることが
ないようにするための、主の懲らしめなのです。
コリントの信徒への手紙一 11:32
 
思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。
人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。 
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。
ガラテヤの信徒への手紙 6:7-8
 
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。
その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、
自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
コリントの信徒への手紙二 5:15
 
わたしの証人はあなたたち わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。
あなたたちはわたしを知り、信じ 理解するであろう 
わたしこそ主、わたしの前に神は造られず わたしの後にも存在しないことを。
イザヤ書 43:10
 
いったいだれが主の心を知っていたであろうか。 だれが主の相談相手であっただろうか。
だれがまず主に与えて、 その報いを受けるであろうか。
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。
栄光が神に永遠にありますように、アーメン。
ローマの信徒への手紙 11:34-36
 
 
有料記事ですが、購入しなくても読める部分があります。