錦糸公園と猿江恩賜公園の桜。

2021年3月下旬に、錦糸町駅にある2つの公園へ桜を見に行きました。
 
治安が悪い印象のあった「錦糸町」がイメチェン中で、関東の「住みたい街ランキング2021」で、「今後注目の街」にランクインしたそうです。
 
アクセスが抜群に良く、買い物が便利な点が人気のようです。駅周辺がかなり変わって大型の商業施設が多く、今後も高層マンションが続々と建設されるとのこと。
 
「北口」からすぐの「錦糸公園」の桜は、満開でした。スカイツリーも見えましたよ。
使用レンズ「Super-Takumar 28mm F3.5」
 
 
そして、ちょっと遠いのですが運動がてら歩いて「南口」の「猿江恩賜公園」へ。ここの桜は少し遅いようですね。8分咲き、公園の中の桜はさらに6分咲きと言ったところです。
いろいろな花が咲いていて、楽しい散策でした。
使用レンズ「Super-Takumar 28mm F3.5」
 
地図
 
とても広い公園で驚きました。「猿江公園」では、地元の方々がお酒を飲む宴会の花見を自粛されているんですよね。過去にもこのような事を書きました。
 
(抜粋)
この辺り一帯は、1945年3月10日の東京大空襲で大きな被害を受け、
猿江公園も焼死者の仮埋葬地となった場所で、
身元不明の1万体以上の遺体の仮埋葬地となりました。
 
1945年3月10日未明からわずか2時間余りで、
東京下町の庶民10万人が焼死しました。
 
当時も日本政府は国民を守るという意思が全くありませんでした。
頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない」「逃げずに火を消せ」
と言い続け、さらに東京大空襲という大惨事を受けてもなお
「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけたそうです。
 
東京大空襲での惨劇の中、なぜか皇居や参謀本部・丸の内金融ビル街は
消失せずに残りました。裏ではみんな繋がっていて、
戦争や災害を引き起こしては庶民から土地など全てを奪い、
復興といってボロ儲けするという信じられないような事が起きていたのです。
 
さらに驚きなのが、このような歴史が今も続いているという事です。学校では教わらないけれど、RAPTさんが解き明かしてくださいました。
 
RAPT×読者対談〈第65弾〉戦後復興もすべては天皇家一族の儲け話。
RAPT×読者対談〈第95弾〉出雲族が秦氏を破り、ジョン・タイターの地図を実現しつつある現状。
 
インスタでも、原爆の話や、昭和時代が秦氏vs出雲族の争いであった事を話されていますのでよかったら聞いてみてください。
こちらより。