藤の花・藤棚
今振り返ると20歳ぐらいから、正しく生きる人になりたいという思いが少なからずあったと思います。誰でもそのような思いは持っていて、私の場合はその思いをどこに吐き出したらいいか分からなくて、時に周りにぶつけて生きてきたなと思います。
大抵ぽかーんとされたり、人助けの仕事でもしたら?と言われたり、ばかだな、変わっているなと思われたり、その純粋な部分を持ち続けているんだと感心されたりもしました。
時に呆れられていたと思うのですが、私に何か良いことが起きると、そうやって生きていると報われることもあるんだね、心が洗われたよ、と言ってくれる友達もいました。
友達に相談事をされて、一緒に答えを一生懸命探して何時間も話すということがありました。でもいつも、その人にとって最終的に何が正解かは分からないから、こんな風に言ってよかったかな?とか間違っていたかな?と後悔したり反省したり、なんだかモヤモヤが取れずにいて、でもきっと話したことによって、少しでもその人の気持ちがスッキリしたかな、と思うようにしました。
なんだかどこか自分が周りとズレているように感じることもあって、モヤモヤが取れずに何かしっくりとこない人生を生きてきました。
でもRAPTさんの御言葉を聞いて、正解が分からなかったから間違った考えや迷いがあってズレていただけで、決して偽善でもキレイ事でもなく、正しく生きたいという思いがあったことは事実だった、そこはズレていなかったと思いました。
その思いがずっと気になっていたから、御言葉でそこを刺激されて、モヤモヤがすとんと腑に落ちて、スッキリしたんだと思いました。
だからずっと御言葉を聞き続けていて、聞くことを止められないんだと思いました。
人は誰でも神様から良心を与えられていて、でも世の中で生きているうちに見えなくされたり出さずにしまっておくようにされていると思いました。その見えなくしているものは何なのか。悪の確信人物達がいなくなれば、もっと素直に生きられてもっと楽に生きられると思いました。
たとえば芸能界なども、ピュアで純粋な人がもてはやされたり(利用されたり)しているけれど、その理由は、共演者やスタッフや視聴者が見ているだけで心がほっとするから、誰もが自然とそういう人を求めているんだと思います。
ツイッタランドでもたまに、人に善くされた良い話がバズっているけれど、それだけ読む側がそういう話を求めているんだと思います。
このような世の中だけどピュアで素直に生きている人がいることにほっとして、心が救われたと感じているんだと思います。
みんながそうやって愛を求めているんだと思いました。
その求めている愛が、実は神様のところにあるんだということを私がもっと知って体験して行って、人を神様の愛につなげるきっかけを与えられる人になれたら、すごくしあわせだなぁと思いました。
人はもっと素直に愛を求めていいと思いました。恥ずかしいことじゃないし、求めたらすぐに与えてもらえる時代にRAPTさんがしてくださいました。なにか不安に思うことがあるならそれを素直に認めて求めて、もうこの程度で満足だよという人も、もっとしあわせになりたい!と求めるべきだと思いました。
素直にならず悪ぶったり強がったり見栄や意地を張ったりとすればするほど、自分を苦しめていることを知りました。もうそのような時代は終わりだから、そういう生き方は周りから見て恥ずかしいと思われてしまうと思います。
RAPTさんが伝えてくださる御言葉を聞いて、正しいことが分かったから、その道から離れずに歩んでいくだけです。もちろん今まで努力せず怠惰に生きてきてしまったから、自分を変えることはとても大変です。
でも、失敗しても諦めずに前へ進み続けることをやめずにもっともっと成長して行けたら、もっと楽にもっと自由に生きられると教えていただきました。今はもっと素直に熱く求める人になれるようにと、もがいているところです。
そして、今まで、自分がそこそこピュアな人間だ(であってほしい)と思っていたのですが、御言葉を聞くうちに大間違いだったことが分かりました。
神様を愛する人こそが、どこまでもピュアで素直で、こっちがずっと見ていたいと思うぐらい子供のように純粋で愛らしい人で、こういう人こそ神様から愛されるんだと思いました。
RAPT理論+αサイトや、Youtubeやインスタで、KAWATAさんやNANAさんやエリカさんの動画を見るたびに、このような人になりたい、と強く思います。そしてそんなNANAさんが証されるRAPTさんは、どれほどの方なのか、と思います。
私ももっと清くなって、成長できるように素直に求めて、本当に神様から愛される人を目指して、がんばります。