法事のときに、お坊さんに対して、「あれれ?」と思ったことがあります。
それは祖父の十三回忌を七回忌と勘違いしてそのまま法事が終わったことです。
祖父の十三回忌で、お坊さんがお墓でお経を唱え終えて話し出したのですが、話の中で、「この七回忌とは・・」と言っちゃったんです。
慌てて親戚の方が「十三回忌です。」と訂正したら、「え?十三回忌?」と言いました。
まるでコントのようなやりとり。私は心の中で、(うそでしょ~~。そこ間違える~?え、じゃあお経も七回忌用のものを唱えたんじゃないでしょうね?)と思いました。
こういうことがあると、途端にそのお坊さんに対して不信感が出ちゃいますね。
お経+話で10分程度。お布施をもらってタクシーに乗って帰って行く姿を見て、いい仕事だなと冷めた目で見送ってしまいました。
お布施の額は分からないですが、おそらく3~5万円、食事に同席していないので御膳料で5千円、もしかしたらお車代もお支払いしていたかな。
父方も母方も、葬儀や法事の時だけお寺と関わりを持つ程度なので、私も何の知識もなかったのですが、父の葬儀のときに初めて、仏式葬儀についていろいろと流れが分かるようになりました。
まず、戒名の金額って高いですよね><。父はもちろん普通の「信士」になりました。「居士・大姉」にしてしまうと、後々お布施のときに高額を支払わないといけないことも知りました。
戒名の相場
出典:https://www.sougisya-erabi.com/tera/ofuse/599/
父が亡くなり、葬儀会場から雇われた案内人によって、あれよあれよと決定されていきます。
悲しみに暮れている暇なんてありません。こじんまりとした葬儀がしたかったので私と姉はしっかり話を聞いてなるべく費用を抑えるようにしましたが、それでもなんだかんだ100万はかかったと思います。お寺に支払う金額が高いんですよね。戒名だけで30万ですから。
あと、これ必要かな?と思うことがあります。
法要でお寺にお布施を渡す際に、お布施だけ渡すのは失礼なので、お茶やお菓子の箱の上にお布施をのせて一緒に渡す、ということです。これも葬儀の案内人に教えられました。
お茶やお菓子といっても5千円ぐらいかかりますからね。買い出しの用事も増えます。こんなことをしなくてもお布施だけ渡せばいいと思います。
私は葬儀のときからこういった些細なお金のことでお寺に対して少し不服に思っていたのですが、母も同様だったと後から知りました。
葬儀での食事の際に住職さんが同席したとき、しゃべらずに黙々と食事する姿を見て不満に思っていたようです。
せっかく若い人たちがいるんだから、気の利いた話一つでもせよ、と。悲しみに暮れていたと思いきや、ちゃんと見ていたんですね。
そして三回忌、七回忌と、母 VS 住職さん の戦いが見られました。
三回忌の法事で、「最後に少しお話しさせていただきます。」と住職さんが突然話し出したから驚きました。
後から母に聞いたら、「なにか一つでいいのでお話ししてくださいますか?」と事前にお願いしていたそうです。「あたり前じゃない、今日はいい天気ですね~って天候の話だけしてどうするの。」と怒り気味でした。
住職さんの話は、残念ながらどこかで聞いたことがある、特に心にぐっと来ない話でした。
「善良に生きた人は天国、悪いことをした人は地獄に行きます。
天国と地獄に、自分の口に運ぶことの出来ない長い箸を与えました。天国と地獄の人たちは食事のときにどうやって食べたでしょうか?」
(答え)
天国では、お互いの口に運んで食べることが出来た
地獄では、一生懸命に自分の口に運ぼうとしたが食べられなかった
善良な人はお互いのことを思い、悪い人は自分のことしか考えていない、ということでしょうか。
正直言って、事前に依頼しておいてこの程度の話。。母も自分で話をしてほしいと依頼しておきながら、いまひとつしっくりしていない顔。
なんとなく三回忌の法事が終わったのでした。
そしてやって来た七回忌。もちろん母からは事前にお寺へ話の依頼が。今回は一体どのような話でしょう?
住職さんは前回の話が不発に終わったので戦々恐々としたはずです。だって耳が真っ赤で、あきらかに気合いが見られましたから(笑)
「少しお話をしたいと思います。」
なんと毛質の大きな字で、 『 有難う 』 と書いた半紙を見せられました。
「ありがたいもの。あることは難しいもの。めったにないもの。当たり前ではなく奇跡ということ。
人間として生まれてこれたのは当たり前ではない。動物やバッタかもしれなかった。」
「だから、人間として生まれて生きていることは奇跡だから、感謝して生きましょう。」
というお話でした。
私たちのためにお話しをしてくださったことは有難い。ですが、なんでしょう、私としましては、何十年と修行をしてきた70代のお坊さんに事前に話をしてとお願いをしておいて、この程度かと。仏教はこれが限界か、と。
一体お坊さんの修行とはどのようなもの??毎日何を思ってお経を唱えているの??と疑問が増えてしまうばかりでした。
十三回忌は行わないので、もうお寺とのやり取りはあまり発生しないと思います。
母 VS 住職さん の戦いは、私のお寺に対する疑問は消えぬままというかたちで終了しました。
ちなみに私は物心ついたころから、お墓には入りたくないと思っていました。
納骨したときにお墓の中にぎゅうぎゅうに詰められた骨壺を見て、こんな狭いところに入ったら息苦しくて無理、自分が死んだら散骨してもらおうなんて、なんとなく思っていました。
亡くなった人を思うとき、お墓や仏壇に向かって祈っても、そこにその人はいないと思います。
ふと思い出したときに心の中で故人を思ったり話しかけたりするので十分ではないかな、と思います。
最近こんなことを発見しました。
骨まで灰にしてもらえる「焼き切り」というものがあるそうです。これだ、と思ってスッキリしました。
あと40年以上は生きる予定なので、その間にまたいろいろ出てきそうですが、今のところ自分が死んだら焼き切りにしてもらいます♪
それに、戒名はもともとは無料のものだったようです。
昔は戒名は生きている者だけがもらったもので、ところが今は死んだ者のために遺族が高い金額を払って手に入れるものになってしまった、とのこと。
こちらに詳しいことが記載されていました↓↓
いまは春と秋のお彼岸にお墓参りに行く程度です。少し遠いので母が行けるうちは私も一緒に行きますが、将来的には『故人は心で思う』というふうにしたいと思います。